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代 表 挨 拶

自社の歴史を最大の強みに

始まりは町の鍛冶屋

社長

 昭和元年、父が中川根町の地名(じな)で刃物鍛冶として(有)中尾鍛工所を興したのが我が社の原点です。のこぎりやなたを作ったり、出兵する兵士へ持たせる日本刀なども作っていました。そして昭和45年、島田市旭町へ移り建築業も始めるようになり、昭和48年に現在の島田市初倉に工場を建てました。
 転機が訪れたのは、平成元年、大手飲料販売メーカーの工場展開を一手に引き受けた時でした。この時、社名も(株)中尾建設工業へと改名。メーカーの勢いそのままに、各地で工場建設を請け負いました。また、この時知り合ったゼネコンから新たな仕事を直接もらうなど、一気に飛躍した時期でもありました。平成10年ごろ、バブルが崩壊し、全体に閉塞感が漂う中、危機感を覚えた私は、ちょうどその頃SB基礎工法という新しい工法に出会ったのを機に、代理店契約を結びました。そのおかげで仕事は増え、遠くは山口県まで行ったことも。しかし、受注単価の低い仕事が多く、決して楽な時代ではありませんでした。
 そんな経験を積みながら、資格者不足で一時は格下げになった鉄骨製作工場のグレードも、平成24年Mグレードへ復活し、今まで制限されていた大型の案件も幅広くできるようになりました。

従業員の成長はお客様のため

 

 私が社内で意識的に行っているのは、従業員にできるだけ資格(免許)を取得させることです。技術、知識を身につけることで、自ら考えて行動できるようになり、迅速な対応やお客様の要望に十分に応えることができると考えているからです。そして、それにより従業員も張り合いが出ると思っています。当然コストはかかりますが、こうしたことのすべてがお客様により良いものを提供することに繋がると考えていますので、これからも継続していきます。

基本は鉄骨!!

太陽光パネル  

 東日本大震災での福島第一原子力発電所の事故以来、原子力発電の安全性に疑問を覚え、少しでも世の中のためになるのならと、思い切って弊社の工場の屋根目いっぱいに30kwの太陽光パネルを敷き詰めました。おかげで天候が気になる毎日です。また、ご近所への騒音迷惑を考慮し、工場には防音カーテンを設置しました。地域の皆様とともにある会社でありたいとの考えは、これからも変わりません。
 近年は鉄骨業者も経営環境が厳しく、県内大手の鉄骨業者で廃業するところもいくつか出てきました。我が社も以前から鉄骨業だけでなく、工場メンテナンスなどにも幅広く対応してきましたが、今後はさらに消費者の要望・要求が多い、食品関係の工場メンテナンスに積極的に取り組んでいきたいと考えています。しかし、あくまでも我が社の基本は鉄骨です。昭和元年から続く中尾の原点は、これからも変えないでいきたいと思います。

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